皆さん、こんにちは!Edytaです。

ワルシャワを観光する時、きっと皆さんはクラコフスキエ・プシェトミエシュチェ通りを散歩します。
ワルシャワ大学の有名な正門を渡るとメインキャンパスに入ります。

ワルシャワ大学

こちらで毎日多くの学生は自分の授業のために急いでいます。
私も同じで古い図書館の右側にある東洋学部・日本韓国学科にすたすたと歩きます。

ポーランドでは日本語専門を持っている大学はワルシャワのほかにクラクフ、ポズナン市、
トルン市とウッチ市(トルンとウッチの場合に学士課程のみ)にありますけれども首都の日本学科は最も古いです。

最初の日本語のコースは、ポーランドが独立を取り戻したのすぐに、1919年に始まりました。
換言すれば、ワルシャワ大学の日本学科は約96年間の歴史を持っています。

ワルシャワ大学の は訪れる価値のある場所です。

まず1817-1827年間に東洋学部の建物はフレデリック・ショパンの住んでいた所でした。
7歳のある将来で世界的に有名なピアニストは家族と一緒にカジミール宮殿の「Gmach porektorski」(グマフ・ポレクトルスキ)に移動しました。

ショパンが居住のころの「Gmach porektorski」は今まで同じ形で保存されています。
建物の二番目のドアと階段は変化しませんでしたが、現在に建物は美術史研究所と東洋学部の本部になりました。

カジミール宮殿の側から見える建物のファサードにショパンの住んでいたことを記念する石碑が張っています。

その上、2002年にポーランドからの招待によって国際親善のために天皇明仁と 皇后美智子がワルシャワとクラクフを訪問されました。

二週間中で天皇陛下と皇后はワルシャワ大学もお訪れになりました。

7月12日にカジミール宮殿でその後のワルシャワ大学の学長ヴェグレニスキ・ピオトルと日本韓国学科の部長メラノヴィッチ・ミコワイは皇帝夫妻を歓迎しました。

日本文学の専門家のメラノヴィッチ教授はポーランドの日本学科の歴史と日本語を教え方について懐かしく話しました。

皇帝夫妻は日本学科の先生方と学生と個人的にお話になりまして、皇帝夫妻はワルシャワ大学の記念本に記入なさりました。

ワルシャワ大学への訪問は天皇陛下の特別な要求でしたから、その訪れを記念する石碑は日本学科の階段に見えます。

天皇皇后陛下石碑

最後に日本学科で日本語で流暢に話す先輩と絶対に日本語で話してみたい後輩と会えます。
日本学科を勉強する学生は日本人と話せる機会をいつも楽しみにしています。

地域を案内したり、安くて美味しいお店をガイドしたりしますから日本語のみ知っているお方に役に立ちます。

そして、日本語でポーランド人と話すのは不思議な経験ではありませんか。

ワルシャワ大学の日本学科は一見の価値がある場所だと思います。
あまり時間がかかりませんから、旧市街を観光途中で寄って下さい。